ピグの日記

適応障害になってから現在にかけてのブログです

試練を乗り越え新しい社会人生活へ

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↑うちの猫です。名前はアイルと言います。10歳♂

国家試験合格!&卒業!そして新社会人として…。

平成27年3月、無事、看護師国家試験を合格しました!

みんなと喜びを分かちあい、卒業もすることもできました。

三年間、必死で勉強してきた1440時間と実習、そして適応障害とも二人三脚で頑張ってきた自分をほめることができました。周囲の人も自分のことのように喜んでくれたのでほんとによかったです。

ほっと一安心するのもつかの間、次は、新社会人として自立していく道が用意されていました。看護学校を卒業できた自分には大した問題ではないと思えるくらい地震に満ち溢れていました。

自動車の免許は持っていたのでしたが、パニック発作を引き起こしてから1年半近く運転してい状態だったので、病院にある寮を借りて仕事へ行くことになりました。

生活用品は無印用品ですべて揃え、築35年近くになる古いアパートへ引っ越しすることになりました。6.5帖の狭いスペースで自分の生活用品を並べ、心機一転して一人暮らしがスタートしました。すべて一人で家事をこなさなくてはならなくなりましたが、もともと一人でいることが好きな人間であったので気は楽でした。病院の目の前であるにも関わらず、実家より静かで日当たりもよくとても居心地がいい場所でした。

白衣と見新しい職場環境で看護師としての仕事にスタートを切りました。

新しい環境にオドオドしながらも頑張りました

はじめは、新人研修として座学や病院のルールなどつまらない話に耳を傾ける日々でした。自分と同じ年の人はたくさんはいませんでしたが、同期となった方とも打ち解けられました。知っているひともほとんどいない状態からのスタートなので慣れるまでは大変でした。

混合病棟(整形外科、脳外科、眼科、地域包括ケア)配属となった私は、業務の流れや先輩・上司の顔を名前を覚えるが必死でした。患者さんの名前や疾患、症状などの勉強もしなくてはならなかった私は、余裕がない状態でした。帰宅すると、精神的疲労がドッと出て。ヘロヘロになってベッドに横になりました。当時、自炊も自力で行っていましたが、自分で作る気力もなくコンビニの弁当で済ましていました。

薬は毎日欠かさず飲んでいたのですが、新しい環境に適応するのが難しいらしく、休みの日は出かける余裕もなく実家でゴロゴロして終わりました。仕事に対する不安感や焦燥感もあったと思います。うまく表現しにくいのですが胸がモヤモヤした感じがありました。

仕事のほうは、小さなミスばっかりすることがあり、上司に怒られる日々が続きました。肉体的にも精神的にも疲れ果て、夜間眠れなくなることもありました。入社して1か月がたったとき、とうとう体が悲鳴をあげパニック発作を起こすようになりました。「これは、まずい」と悟った私でしたが、仕事を休むという行為に抵抗があり、休みたいということができませんでした。つい頑張りすぎてしまい仕事にも集中力がなくなりぼーっとした状態が続きました。見かねた師長が休みなさいと言いしばらく自宅で療養することになりました。

病院にも2週間に1回は通うようになり内服薬の調整を行っていました。当時、どんな抗不安薬を使用していたかははっきりと覚えていません。しかし、1、2錠増やした程度で特別な治療は行いませんでした。主治医には「とにかく、家で薬に飲んで寝て、何も考えずに横になっていたほうがいい。」と説明され言われたとおりに横になっていました。しかし、どうしても仕事のことが頭から離れませんでした。自分が休んだせいで病棟は忙しくなっていないか、自分はダメな看護師なんじゃないかなど誰も気になっていないことに不安を抱いていました。

5日間ほど休んだおかげで心と体の疲労感が取れ、無事仕事へ復活しました。周りの先輩方も心配してくれていました。このとき、一人暮らしも大変だと心配してくれた両親がわざわざ寮まで送迎してくれました。

車の運転ができなった私は、週一回必ず実家まで送迎してもらっていました。片道15km近くあったので30分以上はかかっていました。両親には大変苦労させたと思います。それでも実家にいるときの安心感はとても心地よかったです。定期的に実家で療養してから体を休めました。料理も掃除もしなくていい実家最高です(笑)。